中澤先生

クレームもクレームと気付かないくらい、
いつからそんなに図太い神経になっていたのか…

きっと小学校5年の中澤先生の頃からだろう。
私たちは鍛えられた。
とんでもない暴力教師(女)だった。
殴る蹴るはあたり前。
口撃も罵詈雑言の嵐。
人が1番言われたくないことは何かを知っていた。
ずっといい子ちゃんだった私もいい子ちゃんを演じきれなかた。
クラスに数人、先生が嫌いで登校拒否している子がいた。
1人の子は死のうとして、「きのう、沼まで行った…」と私に打ち明けた。

私と同じ誕生日という別れた彼氏のことを恨んでいた。
1人の男子(クラタ)だけが大好きで、
「早く大きくなってね(結婚しよう)」と言っていた。
クラタは下ネタばかり言う、顔の濃い男子だ。
(タイに行った時、クラタがいっぱいいた)
先生は下ネタも多かった。
男の気持ちもわかっていた。
「自分の持っていないものに興味を持つのは当たり前!」
と。

いつもポケットに手を入れていた。
ポケットの中にはタバコがあった。
「この問題やっとけ!」と言ってベランダへ出、隠れてタバコを吸っていた。

「訴えたいなら訴えてみろ!」
と言っていたが、実際何人もの親が教育委員会、学校に訴えていたらしい、と両親から聞いた。
両親も学校へ行って、校長先生から聞いたのだ。
校長先生によると、先生は結婚が破談になり、ヒステリーになってしまっている。今いい人を紹介しているところだと。真実を知った(?)親は同情した。
(後にめでたく自衛隊の方と結婚)

母に「過労のため休みます」と連絡帳に書かれて数日強制的に登校拒否したことはあったが、
先生のことは嫌いではなかった。

先生はマラソンランナーでもあった。
毎朝全員でマラソン練習の後は、
どこで仕入れたのか雑学を聞かされる。
毎日毎日、へ〜という話ばかりだ。
トリビアの泉」を見た時、
へ〜というより懐かしかった。
先生から聞いた話ばかりだった。

いろんな罰があったが、
走らせることが多かった。
1周2周どころではない。
10周20周、だんだんエスカレートして100周(フルマラソンコース=放置)と言うこともあった。

私は一度、何十周か、数えられないほど走り、走りすぎて不思議な体験をした。
全く疲れがなくなり、戸惑うほど心地よく、いつまででも走れそうだった。まるで雲の上を走っているような気分だ。
ランナーズハイだった。

苦しい思いの後にはこんな素敵な世界があった。
鍛えられ過ぎた。
何も怖くなくなったのかもしれない。
倒錯していったのかもしれない。

…それ以上の快楽は後にも先にも経験したことがない。