ケチ
ケチは好きじゃない。本当のことを言うと大っ嫌いだ。
初めてのケチへの嫌悪は小学生の頃。
日曜日の朝、ホットケーキを焼いた。
紅茶でもいれようと、ティーバッグを開ける。
1つのカップに1袋、お湯を入れ…と書いてある。
そのとおりにした。6袋あけて6個のカップにそれぞれティーバッグをたらす。
遅く起きてきた母親が、6つのティーバッグを見て驚嘆の声をあげた。
父親も起きてきて大騒ぎ。
1つのカップに1袋、と書いてある通りにするバカがどこにいるか、と大笑いだった。
1袋で6カップいける、5袋無駄にした、とさんざんバカにされる。
両親のケチっぷりにゾッとした。
つくづくイヤだと思った。
その後、クイーンシャトーの紅茶をお中元とお歳暮ごとにいただくようになり、
紅茶を贅沢に飲むことを覚えたが、
両親のケチっぷりはずっと健在だった。
決してお金がないわけではない。
お金はたまるいっぽうだったと思う。
たまったお金を小切手にしては不動産を一括払いで購入するのだ。
ケチ、ということの貧しさ。不自由さ。
父が亡くなる数ヶ月前、給与明細を見せてくれた。
200万以上あった。
父は私に「1万円も自由に使えない」と嘆いた。
父が亡くなった直後、強くそのことが心にうかんだ。
私は涙ながらに誓ったのだ。
ケチにならないよう生きていこうと。