いじめっ子いじめられっ子

近所の姉の同級生のKちゃんは、
幼い頃お母さんが亡くなり、
お母さんの代わりとなって家のことをやり、
しっかり者で、弟の面倒もよくみていた。

まさか学校でいじめっ子だったとは知らなかった。

いじめられていたFちゃんは、
もう何年も学校に来ていなかった。
何年も家から出ていなかった。
言葉すら発さなくなっていた。

お母さんは包丁を持ち出し、「2人で死のう」と言った。
「まだ死にたくない」
とFちゃんははっきり言う。

そして学校から救いの手を指し伸べるべく依頼されたのが、
母であり私達家族だった。
(すでに母は私の二面性にも気づいていた)

「学校なんて行かなくていい!
うちの4人娘は揃いも揃ってバカみたいに学校へ行き、
靴底が減る!家政婦代もかかる!」

そうして私達家族との交流が始まる。

Fちゃんは長いこと太陽にあたってこなかったので、
おそろしく白く小さくやせ細っていた。

私はFちゃんを自転車の後ろに乗せて外に連れ出した。
家でバーベキューを何度かした。
何も食べてくれなかったけど。
太陽を浴びようと海にも行った。
全く焼けもしなかった。白過ぎると反射するようだ。
ずっと一言も話さなかったが、
私の自転車の後ろには乗ってくれた。
暑い日も寒い日も。
いつかきっと口を開き、一緒に笑ってくれると思っていた。

少しずつ表情も柔らいでいるように見えた。
渋谷に連れて行った時は、一番生き生きしていた。
時々歩きを止めて興味深そうに路地の奥をのぞきこんだりしていた。
そんな姿を私達はひそかに喜んだ。
一言二言声を聞くようになると、こんどは笑ってほしくなった。
少し先走った。

ある日も笑わせようと一生懸命面白い話をした。
Fちゃんの頬がゆるむ。
必死で笑わないよう耐えているようだった。笑いをこらえて体を震わせていた。
私達はますます一生懸命になった。
Fちゃんもついにこらえ切れず吹き出してしまった。
何年ぶりかに笑ったのか変な声が出た。

私達は勝手に手応えを感じ、
次の日また私は迎えに行った。
Fちゃんの泣き叫ぶ声を聞いた。
こんなに声が出たのかと、信じられないような大声で「行きたくない」と泣き叫んでいたのだ。
誰も出てこなかった。

私は1人自転車で帰る。
Fちゃんは心を開こうとはしていなかった。
自分の変化に抵抗したのか。

そして私達は手をひき、
Fちゃんはまたひきこもり、ほとんど中学も行かないまま義務教育を終える。
その後就職をし、すぐに結婚したようだ。
Fちゃんのお母さんから、
「結婚のお祝いちょうだい!相場は2万!」
と言われたのを最後に、その後のことはわからない。

Fちゃんは強運でもあり、オーストラリア旅行に当選したこともある。
本当は幸福だったのかもしれない。

いじめっ子だったKちゃんは、
後に若くして亡くなったそうだ。
お母さんと同じ病気だった。
Fちゃんはどこかでそれを聞き、
安心しただろうか。
喜んだのだろうか。