自由

シャンプー業界のことえを考えていたら、高架下の人のことを思い出した。

以前、首都高の高架下付近に住んでいた頃、ご近所さんには高架下のアウトドアライフを満喫する人々(浮浪者)もいた。
私は常々、彼らこそ自由を謳歌していると思っている。自由であることの真実、表と裏を彼らは知りつくしていることだろう。

落し物はできない。
私が落としたバスタオルも気付いた時にはもう彼らの膝掛けにされているのだ。
近所の神社内のゴミ収集所には、週末となるとお祝膳の残りらしきご馳走が大量に廃棄されていたが、
彼らはそれらをきれいに取り分けていた。
月曜日の朝は仕分け作業。私も彼らに「お願いします」と(何の価値もない)ゴミ袋を渡す。
新聞もたびたび抜き取られた。
新聞配達員が言うには、地域で1番最初に届けており、忘れることはあり得ない、と断言する。
宅配牛乳も何度もなくなった。
牛乳とヨーグルトを頼んでいたが、いつも牛乳だけなかった。
牛乳だけ忘れることはまずない、という牛乳屋さん。
結局、高架下の人が怪しまれた。
新聞が彼らの教養となり、牛乳が栄養となるなら、なんら問題ない。
でも牛乳屋さんは私からいちいち申告された紛失分の代金を何度も差し引くうち、提案をしてくださった。
「盗む人はビクビクしてます。牛乳ボックスの上に石やまな板など障害物を置いてみて下さい。それだけで大きなプレッシャーとなり、80%は効果があります、それが第一段階です。」
ビクビクさせてしまうのは申し訳なかったが、効果てきめんだった。
第二段階も予定していたが、ステップアップする必要はなかった。

小学校の卒業文集の将来の夢に、姉は「こじきになりたくない」と書いていた。
隣のクラスの人気者の男子が「征夷大将軍」と書いていたのとえらい違いだ。
そういう私も今の持ち金からすると、物乞いしたいレベル。
給料日(25日)まであと2日…