保育園史

卒園式は終わったが、まだあと数日保育園に通う。
長女・次女と通算9年間、迫りくるお迎え時間との戦いの日々もあとわずか。
毎日深夜残業していた時代には考えられないほど効率的に仕事をするようになった。
両立なんて優しい言葉ではない。
言ってみれば二股、三股。
子ども、仕事、家庭、どの前でも本命、一番。
二股心、浮気心を見せてはならない。みな独占欲が強く嫉妬深いのだ。

妊娠と同時に「産むの?産まないの?」から始まる職場だった。
よっぽど仕事にあけくれていたか、育児などできないと思われていたか。
戦いは始まった(そんなキャラじゃなかったはずなのだけど)。
育児休暇は1年。オチオチ休んでもいられなかったが、
1月生まれは保育園に入れない=仕事復帰できないという事実に気付く。
0歳児スタートの保育園で、4月時点で受け入れ月齢に達していなければ、入園のハードルは急上昇する。
そんな計画性もなかったのは自己責任だった。
4月からの入園も会社の時短制度などを利用して中途半端に働こうとする輩は許されない。
世間はそんなに甘くなかった。
仕事にあけくれる前提で4月から1歳児スタートの認可保育園の入園を確保し、
それまでの3ヶ月は都内の出勤圏内の保育所を手当たり次第に探す。
1歳になったばかりの手のかかる子どもは誰も見たくないのが現実。
六本木などは保育料が給料より高く…ようやく新宿の保育所が見つかったが、
「泣いてばかりで大変、こんな小さい子はやっぱりお母さんが見てあげないと」と3日でクビに。
路頭に迷っていると、偶然にも家の近所に無認可保育園がオープン。初めて受け入れてもらえた。
数日飲食もせず泣きあかしたが、いつのまにか園児のアイドルと化す。
「○ちゃんがほしい、ちょうだい、妹になって」とのラブコールを惜しみつつ、退園。
(その保育所も数年で閉鎖、経営は難しいようだ)

4月、晴れて認可保育園は、不人気な区立保育園だから入園できた。
全員が園長先生のよう厳しい環境で、逆風の嵐に立ち向かい、職場で保育園で、気がつくと戦う女になっていた。
社内では(たぶん)要注意人物となり、
もう辞めるに辞められなかった。

引越しに伴い、(クビになった保育園も含め)4園目の認証保育所で認可待ちし、
そして5園目、念願の私立の認可保育園へ転園。
マンション建築ラッシュで人口が急増、保育園ごと建て直され定員も増加して入園。
もう、保育園入園のポイント制の説明文も熟読し、少し頭を使えば解読できる。
どうしたら保育園に入れるか。やっとノウハウをつかみ、戦う女にも余裕がでてきた(もともとそんなキャラでもなかったが)。

2人目、そして育児休暇延長は「前代未聞」で社内1号。
そしてまたしても計画性のなさから1月生まれの次女の入園問題。
これまでの経験と知識を総動員し、入園にこぎつけた。
0歳児スタートの保育園で1歳児からの競争率は20倍以上。
コネもなにもないが、何もしないはずがない。1ポイントでも得るために、みな必死なのだ。
ポイント制の解読(※最重要)だけでは飽きたらず、役所に出向き、電話にメールに手紙に訴え、申請書にも別紙添付。
生半可な気持ちではない。みな覚悟を決めて子どもを保育園に預け、仕事場に向かっていた。

「また赤ちゃんクラスからやり直したい」長女も同じことを言った。
預かっていただくだけでもありがたいのに、愛情を持って保育していただいた。

長い間ありがとうございました。