ママとお父ちゃん

妹の結婚式。

妹の小学校の卒業旅行(遠足)を思い出す。
姉3人で両親を説得し、妹は無事に友達と「としまえん」へ行くことができた。
私たちには到底無理で言い出せもしなかったことを、
妹がヤスヤスと口に出していることに、
みな秘かに驚き、
まるで自分達の願いが叶ったかと錯覚するほどの達成感だった。

妹は高校生になると、塾帰りで深夜になっても、
寝ている私を揺り起こし、機関銃にように話し続けた。
私はウンウンと朦朧としていて、
いつも話題の塾講師が、実は私の同じクラスだった風変わりな同級生だったこともずっと気付かなかったほどだったが、
妹のパワーに応えなければと必死だった。

妹が受験が終わったらやりたいことを書き留めていた「欲望手帖」の迫力。
不可能を可能にするパワー、
人を動かすパワーがきっとある。

結婚式当日、母は「もう帰ろうかしら」を連発する自由人ぶり。
とにかく早く着物を着せ、動けないようにして、
席についたら、酒だ酒だ、どんどん飲め飲め。
最後の感謝の手紙と花束贈呈までいてもらわないと困る。

泣ける手紙すぐ書ける、とは言っていたものの、
妹は前日の夜に手紙書いていた。ドタンバすぎだ。

余興は舞踏家の都合もあったが、みな多忙により省略。
無茶ぶり、アドリブ?でも、みな弁の立つことといったら。
祝辞も「憲法24条」を読み上げるという前代未聞?の展開。
面白かった。
よくある歯の浮くような煽てる言動がなかったこともある。
そんな必要はないのだ。
2人とも弁護士、出席者の半数以上が弁護士、偏差値平均70以上?の集団だ。
さんざん褒められ煽てられてきたのだ。

私には親への感謝の手紙などは絶対に無理だが、
それをヤスヤスと前日に書き、
しかも「ママへ。お父ちゃんへ。」
母はお母さんと呼ばせてくれなかった。
亡くなった父はパパと呼ばせてくれなかった。
2人で統一していなかったこともあるが、
そんな呼び方は私には恥であり、人前で呼んだことは一度もない。

妹はヤスヤスとそれを読み上げていた。
涙を光らせ、涙を誘いながら。
無事に結婚式は終わった。

可愛い妹は小学生までアホで、
司法試験で女を捨てたかのように思えたが、
才色兼備と言われるまでになった。
幸せを願ってやまない。