お見舞い

身軽な妹、からは基本的に連絡はない。
前日の夜や当日などにやっと、
「今徳島、ヨウコちゃんによろしく」
などとメールがくる。
徳島で何をしているのか、
聞くこともないが、聞いたとして、およそ私たちは相容れない。

子どもの頃からケンカ(殴り合い)ばかり。
大人になってもさほど変わらない。

数年前、偶然電車の中で会ったことがある。
2つのビジネスバッグ(どう見てもオッさん用)を左右の両肩に下げ、
携帯電話のイヤホンマイクで話しながら乗り越んで来た人を、
ヤバい人来ちゃったな、と見ると、妹だった。

初対面の人によると、「会計士の先生と聞いていたら、小学生みたいな人ですね」。
逸脱した感性。

片付けが出来ない。
=基本的で当たり前な生活習慣が出来ない、という欠陥に気付かない。
到底理解し難い。

他、悪口になるので省略。

小学校の時、中澤先生に「人のいいところを見つけなさい」と言われてから、常に探すようにしてきたが、
妹に関しては、どうしても見つからなかった。

ここ最近、見つかったような気がする。

身重の妹が危機、母子ともに危険な状態だった。
現代医学と「4人姉妹パワーで」乗り切った。
パワー全開だったのはその理解しがたい妹(会計士)。

滅多にこないメールが1時間で十数通も来ていた。
電車のなくなった深夜に、夜チャリまで試みる。
(ケチなのでタクシーは控える)

思いおこせば、昔私が盲腸で入院していた時も、
妹は病室にゴボウを持ち込んですり下ろしていたのだった、
「自然療法」(東城百合子著)を片手に。
(ゴボウ汁はすり立てでないと飲みにくい)
もう1人の妹(身重、弁護士)は、塾へ行ったとのことだった、ゴボウを捨てて。
姉は当時、臆病すぎて病院へ行けなかった。
注射されると勝手に思いこんでいた。

父が危篤の時も、妹(会計士)は、
一目散に駆け付けたが、父の姿にショックを受けて気絶し、
父とベッドを並べて入院していた。
私が駆け付けた時には、気を取り戻し、父の手を握っていて、
「はい、交替!ずっと握って!」
と言われるがままに、私も手を握ったものだ。
その後、受験前の妹(弁護士)が駆け付けが、お見舞いもソコソコに、参考書などを持ち込んで勉強していた。
そんな時でさえ。

私たちの姉妹はそんなかんじだった。

双子は想像以上に大変らしい。
受入れてくれる産院も限られてくる。
安定期はない。
栄養は倍取られ、内臓も圧迫されて病気になりやすく、ハイリスク出産になる。

家の前の東大病院と遠く離れた産院と行ったり来たり。
分娩室で寝泊まりし、いつでも緊急手術で双子を取り出せるよう、
3人の医師に囲まれていたようだ。

それが、ナースコールしても誰も来ないくらいまでになった。
双子もウソのように元気になり、手術も回避で退院の連絡。

妹(会計士)から、メール(グループ)、
「あともう1回くらいお見舞いしたかった、
もう1週間くらい入院してよ。」
出産時には見舞わないらしい。

もしかすると、お見舞いが好きなだけかもしれない。
いいところ、を見つけたような気がしたが、
またしても屈折した心根を見た気がしたりする。

これからはゴボウをすり下ろしていた姿を思い出そう。


ソラマチを通過してお見舞い。
たぶん、スカイツリーも見守っていた。