見返り

千歳船橋のご婦人たち(60代)が、
死後のことなどを話し合っていた。
私も最近死を考えたりする。
人生の折り返し地点で「死が見えてくる」(マツコ)。

死を怖れるのは、まだ死なないからだろうか。
私が今まで見てきた、死ぬ準備をする人は、死ぬことを怖れなくなるようなのだ。

ご婦人は、保険の話もしていた。
「大きな病気もなく、ここまで生きてこれてよかった。
払った保険料も誰かの役に立ってきたと思えば幸せなこと」と。

そうだ、自分に返ってこなかったとしても、
きっとどこかで誰かの役に立っている。

見返りを求めたくない。
買い物や食事はそれだけで幸福なのに、
付随するサービスなどを求めると、
不満を持つことになる。
イチャモンをつける、おこがましさ。
接客が悪かったとして、人には人の事情があって、
優しい言葉でもかけたほうがよかったのかもしれないのだ。

装飾に振り回されると、
本質を見失うことになる気がする。

最近またフライパンを買い替えた。
私の使い方の問題だ。
中低温度で調理し、大切に扱わなければならない。
(フライパンはクレームが多く通信販売で売るべきではないものの一つ)

穏やかなご婦人の相手の方は、
「今までいくら保険料を払ってきたか、腹が立つから計算したくもない、
保険会社が儲かるように出来てると今更気付いた」
と極めて当然なことを言う。
「絞め殺される夢を見た」などと言って笑っていた。

いくつになっても、楽しく話せる相手がいて、素敵なことだ。
おしゃれカフェにはそんなご婦人が多い。
いつも余裕があって楽しそうだ。
接客がメチャクチャでも、優しく微笑んでいる。

そういえば、私もかつてそのようなご婦人の生態に驚愕し、
恩返しをしたいという思いもあって、今の仕事を選んだのだった。