クレーマー

クレームを言ってやった、
と言う人がいる。
得意げで、満足そう。
クレームが大好きなんだろう。

クレームはクレームを言う人のところにやってくる。
クレーマーはクレームをすぐに見つけてくれるのだ。

かつて、お客様対応をしていた時は
本気でお客様は神様と思っていた。
物言うお客様の後ろには、
物言わぬお客様が100人はいる。
真剣に101人のお客様の声に耳を傾けた。
時には理不尽なクレームもあった。

ストレス発散になるならそれでいい。
寂しさを紛らわせるならそれでいい。
なんとかして強く見せたいなら、
誰も認めてくれないなら、
私が認めよう。

クレーム対応の仕事は過酷と言われている。
多くの同志が去っていった。
普通の神経はズタズタにされ、
頭がおかしくならないほうがおかしい、のかもしれない。

私はおかしかった。
いろいろな感覚が麻痺していたのだろう。
全く苦ではなかった。
楽しくてしかたがなかった。
クレームが感謝に変わることもある。無上の喜びだった。

不満の多い人生は明らかに不幸だが、
不満が生きがいであれば幸福かもしれない。

損保会社に転職した友人は、今になって思う。
例え商品だかなんだか問題があろうと、あんた生きてるじゃん、幸せじゃん、と。
死亡事故対応などをしていると達観するらしい。

感覚が麻痺していた頃は、
私もクレーマーだった。
文書を求めたこともあった。
文書はあらゆるパターンを用意しているとはいえ、厄介なのだ。

クレーム対応から離れると、
クレーマーではなくなった。
例え異物混入などがあったとしても、「罰」だと思っている。

無愛想な彼女が作るチーズケーキは最高に美味しい。
本質を見失なってはいけない。

クレーマーの心理を不可思議に思うこともある。
いいことをされると、自分もいいことをしたくなる、
幸福の連鎖と同じように、
不幸の連鎖もあるだろう。

心理学では、クレーマーの心理は
「投影」というらしい。
哀しくも恐ろしい心理だ。

クレーマーは、クレームの類いをさんざん言われてきた人なのだ。
過去を再現することで、惨めだった自分自身に復讐をしている。
同時に、今の自分は過去の自分とは立場が逆転し、
完全に優位に立っていることを確認し満足する。

久しぶりに吉祥寺に行くと、
好きだったお店がなくなっていた。
対応は最悪だったが、あの店がなくなるとは吉祥寺の損失だ。
もう吉祥寺に用はない、とまで思う。
36があったか。

椿屋カフェにて。

クレームを知らない子ども。
私はクレーム(クリーム)てんこ盛りだ。