イナカトトカイト

中目黒の銭湯、光明泉へ。
都会ならではの狭さ、よりも、
目黒川沿いを散歩してから行けるという楽しさ。
目黒川沿いの女子たちのほとんどはMA1を着てスタンスミスを履いていた。
大昔、オリーブを見てスタンスミスを買いに行ったことが思い出される。

病院連絡先を常に携帯。
入院まで都内を出ないようにする。
緊急時を考えると、地方では困難だろう。

そんな中、熊本地震がおきた。

熊本には母方の親類が多くいる。
亡くなった方の名前を聞いて、一瞬、親戚かもしれないと思うが、地域に多い苗字なのだ。

熊本と連絡が取れない頃、
為す術がない母と叔母は、お寺で無事を祈っていたらしい。

親類の会社のHPなどを確認し、たぶん大丈夫、と思っていると、
ご近所イトコが、熊本の全員無事を確認。
私は誰の連絡先も知らなかった。
妹は年賀状をやりとりしているらしい。
セスナに乗る大伯父(たぶん)と。

親類は洒落者揃いだと思う。
祖父は、九州から逃亡同然で上京した時ですら、
胸ポケットにチーフを入れていた。

全く洒落気のなかった母はイナカモノとされていたはずだが、
上京志向は凄まじかったと思われる。

東京の大学に行きたかったとオジサンになっても言い続けていた親類が、
そんなに行きたいなら受けてみなさい、と言われ「青学」を受験したが、
名前しか書けなかった、
という話に、母はビックリするほど大声でバカ笑いしていたものだ。

お洒落そうな?「青学」も勉強しなければ 入れない。
表層に憧れる、何も知らない浅はかさを笑い、
自分は「青学」よりはるかにハイレベルの大学を出て、そんなイナカモノとは足元にも及ばないのだ、と笑う。

そんな無知の知すらなくとも、
ヒネクレモノは母くらいで、
親類たちは底が抜けるほど明るい面々であって、
社屋を隈研吾建築にするほどの洒落者でもあり、
例え被災しようと、笑って過ごしている気がするのだ。

通院前に、世田谷ライフ(烏山・仙川特集)を買って熟読。
新店情報やら、駅前再開発情報など満載だ。こんな時は区外の仙川も世田谷区の仲間入り。
仙川の誇り、アオサンのパンが食べたくなった。買いすぎて失敗して以来。

手術前検査や入院手続きで、数時間おし、手紙社(柴崎)は次回へ。
期せずして、仙川駅前の無印良品、クイーンズがオープン初日だった。
新しい物事が好きすぎて、
自ら行くが、向こうからもやってくる気がする。

砧や成城でも撤退したクイーンズ伊勢丹だが、
仙川人はよってたかって血相変えて買い物していた。
勢いづく仙川に負けっぱなし?の烏山も、
5年を目処に再開発されるみたいだ。
ギリギリ世田谷区のイライラも解消されるかもしれない。

イナカテキナトカイテキナ

(今週の生協の掘り出し物)

激ウマがまんぱいづめ