母の日
母の日だった。
二子玉ライズで子どもメガネを新調。
待ち時間に、ブレッド&バターファクトリーのパンをリバーフロントだかなんかのあたりで食べる。
美味しすぎて、翌朝分も食べつくす。
その後、世田谷ライフで見た一本堂(烏山)で翌朝分を補足。
クイーンズ(仙川)のホテルブレッドも美味しかった。
新宿にも、ニュウマンにロブションも沢村も入り、
ゴントランに行くヒマもないほどだ。
フェリシモでもよくわからないまま神戸のパンの会を注文。
ブーランジェリースドウでも予約を考えている。
パンを美味しく感じる喜びを噛みしめている。
母は大幅に遅刻してきた。
電話すると、家にいた。
日にちを忘れていた、と言う。
理由としては「事件」があったと。
事件後、全く違う場所に向かっていたりする。
巡り巡って、タクシーで辿り着く。
多少近づいてからのタクシー利用。
夫(タクシー病を再発し治療中)よりは賢い。
母にかかると日常が日常でなくなる。
それを望んでいるかのようだ。
入院予定の事実は伏せよう。
私は日常のありがたさを日々実感しているのだ。
母の日の思い出記事などを見て、
幼少の頃、母とギンザのカフェに行った時のことを思い出した。
日本だというにに、外国人ばかり。
メニューも英語だった。
カタカナが小さく書いてあったが、わけのわからない言葉だった。
今思えば、ダージリンだとか、キリマンジャロだとか書いてあったのかもしれない。
やっと「アイス」という文字を見つけ、
アイスクリームでも食べておこう、と思ったが、
なんと、その「アイス」は氷のことだった。
子どもが飲めるようなジュースなどもないとのことで、
結局、たぶんコーヒー紅茶用の「ミルク」と、たぶんアルコール用の「アイス」を注文。
大量の氷がきて、数個の氷をうかべ(たぶんオンザロック)、
飲みたくもない牛乳を飲んだものだ。
そんな非日常のような日常のようなことに母は憧れていたのだろうか。
(なわけない)